7月

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7月31日(火)

 大勢の皆様のお世話になりながら何とか7月30日にAnn Arbor入りを果たすことができました。送別会を
してくださった皆様、引越しを手伝ってくださった皆様、餞別を頂戴した皆様、まことにありがとうございました。
 デトロイトに着いてからHertzに行って予約した車(に乗り、空港で待つ家族を拾った。大荷物が全部入ってく
れたのには感動したが、慣れない車(椅子の動かし方1つ理解するのに数十分を要した)、慣れない道でのし
かも右側通行でのドライブは大変に疲れるものでした。ホテルに着いてからはパタンキュー。
 一番寝て起きてみるとやはり息子の頬が片方だけ膨らんで痛がる。「これは、もしや幼稚園のお友達がか
かっていたアレでは?」といきなりミシガン大学の救急病院のお世話に。といっても息子はいたって元気。
測ってみたら熱もない。しかしやはりドクターの診察は「mumps(おたふく風邪)」。安静にしなさいとのこと。
 病院の対応は極めて誠意に満ちたものでした。なかでも感動したのは日本語の通訳さんが無料で来てく
ださったこと。私と妻の英語力では微妙な表現の理解力に不安があるのは自他ともに認めるところである
から、これはまさに地獄に仏。しかもその方に、日本語の使える医院を紹介していただいたので、ファミリー・
ドクター未定の我が家としてはここの先生にお願いすればいい。3日後くらいにこちらの医院に伺って、
息子のフォローアップ診断(こんな日本語ないか)をしていただくついでに、ファミリー・ドクターになっていた
だくようお願いすることにする。
 あ、それから来ない来ないといっていた保険証書だが、引越し荷物の整理中に妻が発見した。ご迷惑を
かけた関係者の皆様にはただただお詫びを申しあげるのみである。
 息子の方は全く元気で、病院に実習に来ている女子学生が"Hello"と声をかけたら、愛想よく"hello"と返
す。それまで家族以外の人に話しかけられても沈黙していたくせに、妙齢の美人がくるとこの変わりよう。誰
に似たんだ、いったい?
 診察終了後はfood market探しに一苦労。ホテルのレストランの食事はやはり塩分と油分過多気味で、
かつ野菜不足。ということでBuschというマーケットに行って野菜と果物を買う。
 ということで、今日は家探しもできず、お世話になるCenter for Political Studiesにもいけなかった。まあ
しかし、家族全員疲れがたまっているからこれもよしであろう。
 なおこちらの気候は札幌の暑いときという感じであろうか。9月からは急に寒くなるということだが。
 とりあえず明日は大学に行くことと家探しに着手することを行動目標としている。
 

 

7月26日(木)

  渡米は今月30日。忙しいの忙しくないのってそりゃああーた、うっしっし、同じ泉なら巨大な方を、ってな感じ
で気持ちよくコワレている今日このごろ。何もかもこのアツイ夏のせいにしてしまおう。そうだ、○○課の通達
が今ごろ来るのも、保険の証書がまだ来ないのも、買ったばかりのデジカメの箱を開けてみたら本体が無い
のも、運転免許の特例更新に伊丹まで行って結局パスポート取りに帰宅しなければならなかったのも、みー
んなみーんなこの暑さのせいなんだ。
  どうも私は夏の方が元気なようである(軽い躁状態ですね、要するに)。炎天下の中、ぽこぽこ歩いていると
気分はすっかり里中智、「ライバルは灼熱の太陽さ」ってなもんである。こんな私をO先生は「さわやか」と評し
て下さる(ありがたやありがたや)が、誰かに「暑苦しい」といわれたら傷つくだろうなと結構ビクビクしている。

  にしても渡米前にしなければならないことの多さよ。そして渡米後にもいろいろと難関が待っているので、
本当のところは「わらいごっちゃ、おまへんでぇ」なのだが、申告になっても事態は改善しないので、とりあえず
この躁状態のままがんばってみましょう。
 

7月9日(月)

  着々とというほどでもないが、渡米準備を進めている。ビザも来たし、チケットも取ったし、銀行関係の
作業も大体やった。しかし住まいの方を完全に引き払ってしまうので、まだまだ作業は山積。外国に行
くことがどれほどの大仕事であるか痛感する日々だが、少なくとも退屈することだけはない。
  ゼミの1期生のN君からメール。渡米前に会食を設定。歳々年々人おなじからずというが、まあ元気で
さえあればそれにまさることなし。
 

7月2日(月)

  今日でまた一つ年を取った。三十路を越えてから、坂を転げ落ちるように年を取っているような気がし
てならない。今月はルーティン・ワークの他は渡米準備で終わるだろう。ま、何にせよ、倒れることもなく
今日の良き日を迎えることができたのは重畳といわずばなるまい。35歳最後の夜を一緒に過ごしてくれ
た友人二人に感謝感謝。