5月26日(日) 

 今日は息子の幼稚園のクラスメートの女の子のName day party.誕生日
は12月なのだそうだが,彼女はこの夏から1年間,ロシアにいくのでBirthday
ではなくName dayとしてPartyをするのだそうな.
 彼女はお父さんがロシア系,お母さんがフランス系でお父さんとはロシア
語で,お母さんとはフランス語で会話する.おまけに英語は完璧という末
頼もしい6歳児で,息子にも気配りを欠かさないしっかり者.息子の一番の
お気に入りの女の子である.
 party会場はMaybury State Park.農場もあって,馬や,羊や山羊など
いろいろな動物を見たり触ったりできるということなので,息子だけでなく
家族全員で参加させてもらった.
 このあたりのbirthday partyは結構おおごとで,友達をうちに呼んで,
ケーキとご馳走でしまいとはならないことも多い.今回は子供たちを2つの
グループに分けて動物や農場についての問題を与え,それをみんなで
考えさせたり,実際の動物のところや農場で働いている人に尋ねることに
よって答えを発見させたりということをゲームとしてさせていた.

 その公園で息子がミニチュアのアメリカ国旗を拾った時,娘が「それ捨て
たら犯罪だからね」と息子に注意していた.Elementary Schoolでは毎日,
Middle Schoolでは毎週金曜日に星条旗のもとで全生徒が誓いの言葉を
口にするそうで,上の娘はもうだいたいいえるらしい.
 彼女に,「日本で同じことを日本の国旗に対してやれといわれたらやる?」
と聞くと,「えー,やらない」という.「なぜ?おまえは日本人だろう」と聞くと,
「だって私は毎週アメリカの洗礼を受けているようなものだから」と答える.
娘は合衆国国歌も好きでだいたい覚えて歌えるが,君が代は歌えない.
ちょっと考えてしまった.自国の国旗よりも星条旗に,君が代よりも合衆国
歌に娘は親近感を覚えているのである.
 日本でアメリカ人が国旗に対して要求されるような行為を要求したら,
少なからぬ人たちが抵抗を覚えるだろう.卒業式に日の丸を掲揚すること
にさえ,一部に強い反発があるし,教員や学生の中に君が代を起立して斉
唱しない者がいて問題となるという報道はかなりある.
 日本人が国旗を敬い,国歌を歌うのは当たり前ということがなかなかイデ
オロギー的に通りにくいのは,1つには日本人は自ら自覚的に日本人で
あることを選択しているという観念が希薄だからのような気がする.なんの
因果か気がついたら日本人に生まれていて,いまさら他の国の言葉を勉
強したりして外国籍を取るのも難しいから,そのまんま日本人ということに
なってはいるが,国家への忠誠とかいうことになったら,,,,というわけだ
ろうか.
 まあそれでも過半数の人は日の丸は国旗だから尊重しなさいといわれ
れば,ハイハイとそうするだろうし,ワールドカップの日本代表が試合前に
君が代を歌うことに嫌悪感を覚えたりする人もそんなに多くはないのだろう.
 私は,君が代という歌はあまりいい歌とも思えないし,天皇に忠誠を誓っ
た覚えもないので,できるだけ歌わないようにしているが,そこはそれ,諸
般の事情というやつもときおりあったりするから,そういう場合には周囲に
合わせて行動を変える日本人としての特性をいかんなく発揮しながら世
渡りをしている.他に代わる歌もなし,別の国歌を作るべく運動しているわ
けでも,天皇制打倒活動に従事しているわけでもないから,まあここは多
数派の皆様に従います,私は民主主義者なので,というわけである.そ
ういう私の娘であるから,日本国民としての自覚に欠けて,とそしられたら
へへえ申し訳ございません,とは一応は謝って見せるだろうが,だとしても
前非を悔い改めて娘を愛国者とすべくせっせと再教育に情熱を傾ける気
は,あんまりない.とりあえず君が代くらいはどんな歌か,教えておくつもり
だが.
 ただ,日本人であること,日本人であることを選びつづけることとは一体
なんなんだろうかと考えてしまったのである.子供のことはともかく,私は
日本人をやめる気はない.子供がアメリカ国籍を取りたいといっても反対
しないだろうが,自分がアメリカ人になれたとしてもなろうとは思わない.こ
れは私が日本人であることを誇りに思っているということではない.愛着は
確かにあるが,はっきりいって同じくらい嫌悪感も持っている.それでも自
分が死ぬまで日本人でありたいと思うのは,日本に自分の意思とかかか
わりなくたまたまであれ生まれ,そこで育ってしまった以上,そこが自分の
持ち場であると思いこんでいるからだ.ゆえに日本を自分の持ち場と思え
なくなれば,私が日本人でいなければならなくなる個人的理由はなくなる
わけだが,この理由はおそらく一生なくならないだろうと思っている.自分
で考えてみて発見したが,これはどうやら自分という存在の根幹に関わる
ような問題(おおげさかな?)であったらしい.
 自国の国旗や国歌を尊重することが常識であるという観点から見れば,
戦後の日本はおかしいのだろう.でも私はそのおかしな国に生まれている
ことを楽しんでいるし,そのおかしさのよってきたるところを考えることそれ
自体も楽しんでいる.
 国歌の斉唱を強要するより,なぜ日本人でありながら反日の丸・反君が
代という人々が存在するのかを問うことのほうが,はるかに面白いし,重要
なことだと思う.それは小・中・高の教育現場ではやっちゃいけないことな
んですかね?

(B.G.M.In My Life (スガシカオ))


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